久保豊の想い

大街道商店街入り口に位置する
久保豊ビル。
古くから賑わう商店街と共に
代々商いを続けてまいりました。

慶長 8年「久保屋」屋号
 伊予郡松前から、お供の商人として松山へ。

明治16年久保家10代目 久保豊次郎により創業。
「久保豊旅館」となる。

下村為山の年譜には「大正15年9月久保豊旅館仮寓」とあり、
その歴史を垣間見ることができる。

大正15年11月には、松山高等学校の生徒、宮本顕治達の
15日間ストライキの本部となる。
(早坂暁作 花へんろより)

昭和20年戦災に遭い、焼野原のなか瀬戸物店や菓子店を営む。

昭和41年「久保豊株式会社」会社設立。
(不動産賃貸業)
同年に旧久保豊ビルを新築する。

平成12年久保豊第一ビルを建て替える。
耐震性と安全性に優れ、バリアフリー化した新しいビル内に、大街道から一番町まで通り抜けができる幅2メートルの通路をつくる。

これまでのみなさまのご愛顧に対し
心より感謝申し上げます。
久保豊株式会社 代表取締役 久保素子
歴史を振り返りますと、幾度と無く厳しい状況もございました。
戦争で大街道は焼け野原となりましたが、復興には涙ぐましい努力もあり、現在につないでおります。

昭和41年に久保豊ビルを建築致しましたが、35年目に入店しているテナント様のご協力を得て、平成12年6月1日にバリアフリーを基本に耐震性と安全性を重視し、ご利用いただきやすい施設にしたいとの思いから、現在の久保豊第一ビルを建て替えいたしました。
入店されているテナントの方々、またご来店頂くお客様にも安心してご利用いただける商業施設となりますよう、施設環境にも美的要素や省エネ、特に防災関係など環境にやさしい施設づくりに日々努めております。

久保豊株式会社は、テナントビルをはじめ賃貸マンション、複合型賃貸マンション、駐輪場、駐車場などを総合的にサポートするサービス企業でございます。
今後共、久保豊株式会社を宜しくお願い申し上げます。

久保豊株式会社 代表取締役 久保素子